ここのところの当コラムでも生産性向上について何度かお話しさせて頂いておりますが、その為に重要な施策として「教育」を挙げさせて頂いております。

当事務所も従前より税理士試験の専門学校が開設している実務講座をスタッフに受講するよう指導しておりましたが、それだけでは十分では無いと判断し、先々月より私が講師となって所内勉強会を実施するように致しました。コンセプトは、実務で実際にあった事例を題材として、こういったケースでは税務会計上どのように判断するのがベストなのかを私なりに伝えていく方向で考えております。

ただいきなりそういった話をするのも性急すぎるので、現在は私の生い立ちからどういう人生を歩み「税理士 加納豊彦」が形成されたのかを話しております。

折角ですので皆さまにも少しだけ私の幼少期のことをお話し致します。

 

私の幼少期を端的に表すと「ヤンチャ」であり「虚弱児」でした。

小学校入学前までは、同世代の子が近くにいるとすぐにちょっかいを出し、ケンカになることも良くありました。

一方母親曰く、年の半分は熱を出したりして病院に通っていた(流石に話を盛り過ぎとは思いますが)というほど体が弱かったとのことです。

ちなみに当時は標準体型で、短距離走は比較的速く、小学4年生位迄は毎年運動会の選抜リレー選手の補欠位の走力はありました(それ以降は相撲を始めた影響で今の様に大型化し、鈍足となりました…)。

ただ長距離走は標準体型だった時代も遅く、マラソン大会の順位は常に後ろから数えた方が早い位。こういうところを見ても体質的なスタミナ不足は明らかで、虚弱児だったのも頷けますよね。

 

そんな感じでしたので、マラソン大会の時期になると本当に憂鬱でした。

走り始めるとすぐに呼吸は苦しくなるし、脇腹は痛くなるし、足が遅いと笑われるし…通常であれば何か理由をつけて休みたくなりそうですが、そういうことは(当然ですが)一度も行わず、常に自己ベストを目指して全力疾走しました。

そういった姿勢が良かったのか、小学校中学年位から病欠も極端に減り、高学年以降は高校卒業するまで病欠は年に平均2日程度、皆勤賞の年も2回ほどあるなど、一定程度丈夫な体になりました。

 

とはいえ生まれつきの体の弱さが完全に克服できたわけではなく、社会人になってからもしばしスタミナ切れによる体調不良には悩まされました。

このままでは仕事でベストパフォーマンスを発揮できないと思い、少しでもベースのスタミナを上げる努力をする一方、このスタミナの無さとどう付き合うかを真剣に考えるようになりました。

色々取り組んだお陰で大病をすることなく、今ではコンスタントに力を発揮できるようになったかとは思います。

 

人間誰しも得手不得手はあります。もしかしたら自分が天職だと思って選んだ仕事でも、不得手な部分が資質として要求されることがあります。

それだけでなく世の中生きていく上では、苦手なことでも否応なしに対応しないといけないことが色々あります。

そんな状況で「自分は出来ないから」とか「自分は分からないから」という居直りは通用しないばかりか、時として対応しなかったことによるペナルティを負うことになります。

しかし苦手なりに全力で取り組めば、克服への道が開ける場合もありますし、その姿勢を見た周囲からサポートを受けられるようになります。

私は「体が弱い」以外にも「要点をまとめて上手く話すのが苦手」「ITに弱い」「せっかち」などビジネス上でのマイナス要素が色々ありますが、「鈍足の全力疾走」は続け、少しでも状況が好転するよう今後も取り組んでいきたいと思います。