7月3日より20年ぶりに日本で新紙幣が発行されました。

もう皆さまご存知かもしれませんが、千円札は破傷風の治療法を開発した細菌学者である「北里柴三郎」、五千円札は日本初の女子留学生の一人で日本における女子教育の先駆者である「津田梅子」、一万円札は近代日本経済の父と呼ばれる「渋沢栄一」の肖像がそれぞれデザインされています。

特に渋沢栄一は2019年にNHK大河ドラマで取り上げられるなど、昨今注目を浴びております。

 

ここで渋沢栄一の略歴をご紹介しますと、1840年、現在の埼玉県深谷市生まれ。生家は農業のほか、藍染め原料の加工・販売を営んでおり、かなり裕福だったとのこと。

そういう家柄ということもあり、幼少時代から四書五経の手ほどきを受け、地の利を生かしては頻繁に江戸に出て、高い教養や剣術を身につけたとのことです。

そのお陰か渋沢は後に幕臣として取り立てられ、江戸で知己を得ていた一橋慶喜(後の十五代将軍徳川慶喜)の家臣の推挙で、慶喜に仕官することになりました。

そこで慶喜の弟である昭武のパリ万国博への派遣随行員(庶務・会計係)として約2年間パリに滞在したのですが、ここでヨーロッパの銀行・鉄鋼業などの近代産業の実務を身近に見たことで、後の「日本資本主義の父」にとって大きな経験をすることになりました。

明治維新後の1868年末に帰国すると、旧幕臣にもかかわらず「西欧の経済に明るい」と新政府の目にとまり、現在の財務省の役人に抜擢されました。

 

その後渋沢は政府の役人として、民間に設立を働きかけていた第一国立銀行を1873年に設立しました。これは日本初の銀行で、現在のみずほ銀行です。

以後渋沢は銀行の機能を生かしてあらゆる業種の起業に携わり、東京証券取引所、東京ガス、帝国ホテル、王子製紙、東急電鉄、キリンビール、東洋紡など日本の近代化の礎となった数々の大企業を設立し、その数は500近くに上ります。

鉄道やガスなど近代経済のインフラといえる業種が大半で、これらの企業があるから今でも多くの人が、不自由なく日常生活を営めていると言っても過言ではありません。

それだけでも十分スゴいと思いますが、それ以上に渋沢がスゴイと評価されているのは、儲けを自らの懐に収めて、更なる儲けを企図しなかったからと言われております。それは三井や三菱と違って「渋沢財閥」が今の世に無いことからも分かります。

 

渋沢は起業して得た儲けをどうしたのかと言えば、教育や慈善事業などへ還元していきました。

現在の一橋大学や日本女子大学などの教育機関や、現在の東京都健康長寿医療センター、全国社会福祉協議会や日本赤十字などの社会事業団体も渋沢が設立に大きく関与しております。

なぜこのようなことが出来たのかと言えば、渋沢は事業をする上で、国民の生活を豊かにするという道徳に基づく公益の追求が重要と考えていたからでした。

そしてその実践として、これらの事業を利益化して根付かせることだけに注力し、渋沢の教育を受けた人材をその事業に送り込み、更に発展していく流れ(経済)を作りました。

この足跡からも分かる通り、一見相容れない道徳と経済の融合「道徳経済合一」の思想こそ、事業発展の近道と言えるのではないでしょうか。

 

日本は今、もう一度経済を作り直さなければいけない時期に来ています。

それ故、私利に走って搾取をするのではなく、道徳に基づいて公益追求ができるのか。また、道徳ばかりを重視して、そもそもの事業が倒れてしまわないか。

道徳と経済の両輪を回し、その国の生活を豊かにする経営者が求められているといえます。それだけにご自身の事業及び経営者としての取組みが国民の生活を豊かに出来ているか、見つめ直してみては如何でしょうか?

(参考:JBpress 2017.11.1、2024.6.25)