本年の確定申告、還付申告も含めご依頼頂きました案件全て期限内に申告することが出来ました。

お忙しい中、ご協力頂きましたご依頼者の皆さまには、改めて感謝申し上げます。

 

確定申告業務もあとわずか、もうひと踏ん張りと奮闘していた最終日の3月16日に、ネットニュースで元大関若嶋津の訃報が目に飛び込んできました。

若嶋津は昭和50年代後半から60年代に活躍された力士で、体重は最高でも125㎏と当時の幕内力士の中でも5本の指に入る位の細身の体格ながら、真っ向勝負で相手に対峙し、素早い動きと強靭な足腰を活かした取り口で勝ち星を重ねました。

それだけでなくビジュアルが南国鹿児島出身の浅黒い肌と精悍な顔立ちとあって、「南海の黒ヒョウ」のニックネームで大変な人気を博しました。

その人気ぶりは、かの世界的サッカー漫画「キャプテン翼」で「若島津健」というキャラクターが出来たほど。作者の高橋陽一も大ファンで、人気にあやかって作ったとのことです。

高橋先生だけでなく、私もそんな若嶋津の取り口とビジュアルに魅了され、相撲を観戦し始めるようになって最初にファンになりました。

昭和59年には2度の幕内最高優勝(うち1度は15戦全勝)を果たし、人気も最高潮に到達。

また「硝子坂」「そんなヒロシに騙されて」などのヒット曲がある人気歌手高田みづえと結婚したことも、大きな話題となりました。

そんな注目度抜群の力士だっただけに横綱も期待されましたが、あと一息足りず、昇進は叶いませんでした。

その後は細身の体格をビルドアップさせようと無理して食事をしてきたことが祟って、糖尿病に罹り成績が低迷。昭和62年7月場所限りで引退しました。

 

引退後は松ヶ根(のち二所ノ関)親方となって相撲部屋を創設し、7人の関取を育成するなど、指導者としても手腕を発揮しました。

その功績から平成26年より日本相撲協会で理事となり、審判部長などの要職を歴任。さあこれから相撲協会を親方として更に引っ張っていこうかとしていた矢先、悲劇が訪れました。

趣味のサウナから部屋へ自転車で帰る途中に体調を崩し、路上で転倒、頭部を強打しました。

その後、病院に緊急搬送され、すぐに頭部の手術を受け辛うじて生命は取りとめたものの、体の機能は大幅に低下。以後は理事の要職から離れることとなりました。

それでも相撲協会は65歳停年まで務められましたが、テレビやネットなどで姿を見るとかなりやせ細っていたので、私の中ではかなり心配していました。

それだけに亡くなったのは大変残念で淋しいのですが、どこか納得してしまった感じですね。

 

訃報に際し、力士や親方、相撲記者など関係者から様々なコメントが寄せられているのを見ました。

そこで、みな口を揃えて言っていたのが「とにかく優しい方だった」と。

例えば、稽古の取材に来ていた記者や見学に来た見ず知らずのファンにちゃんこを振る舞ったり、出身地も出身校も一門も違う力士の引退後の相談に乗ったり、後輩の親方に懇切丁寧に相撲協会の業務を教えたり…

実は私も1度だけお会いしたことがあり、その時も気さくに話しかけて頂き、快くサインに応じて頂けました(そのサインは事務所に飾っております)。

若嶋津は相撲を愛している人達により相撲を愛してもらうよう、自分に出来る精一杯の愛情を注ぎ、それでその人達が幸せな気持ちになって、ひいては自分も愛している相撲界の発展に繋がっていく。

その思いで相撲関係者やファンに応対していたかと思うと、人気があったのも頷けます。取り口、ビジュアルだけでなく人間性も加わった人気であったんだなあと。

 

ビジネスはお客様、スタッフ、協力業者、家族、会社であれば株主などの協力があって成り立ちます。

そのためにはそれらすべての方々が幸せになるよう、愛情を注いだ行動するのが重要です。

私には若嶋津のような器量はとてもありませんが、ファンと公言している以上、「若嶋津スピリット」を体現できるよう行動していきたいと思います。