少し前になりますが、1月22日に恒例の大相撲初場所が千秋楽を迎えました。現在大相撲界は空前の戦国時代となっており、令和4年は毎場所優勝力士が変わっている状況。誰が優勝してもおかしくない中、横綱照ノ富士が休場中ということもあって番付最上位となった大関貴景勝が見事優勝し面目を果たしました。こんな状況は平成3年以来とのことですが、その平成3年は絶対的な強さを誇っていた横綱千代の富士が引退し、後に横綱となる若貴兄弟や曙が台頭してきた時でした。この頃は脇役でも強烈な個性を放っていた力士も多くいましたが、その中でも抜群の成績を残していたのが安芸ノ島(後に安芸乃島に改名)です。

彼は元大関初代貴ノ花が創設した藤島部屋に15歳で入門。連日の猛稽古のお陰もあって20歳で幕内に上がり、しぶとさを武器に強敵を次々になぎ倒し、獲得した金星(横綱、大関、関脇、小結以外の力士が横綱に勝つこと)は何と16個!また活躍した力士に送られる三賞(殊勲、敢闘、技能)獲得回数は19回。これらは今でも破られていない記録で、いかに彼が強かったかが分かります。であれば当然、大関、横綱へと昇進すると誰もが思っており、何度かチャンスはありましたが、格下への取りこぼしが多かったため関脇止まりで引退となってしまいました。

引退後、安芸乃島は親方となり所属していた貴乃花部屋で後進の指導にあたっておりましたが、師匠である弟弟子の貴乃花と指導方針を巡って対立、高田川部屋へ移籍しました。実はこれがきっかけで安芸乃島は自分の相撲観が180度変わる衝撃を受けたそうです。というのも彼は若い頃、自分の地力が上がれば自然と相撲も勝てるようになると考え、ひたすら番数をこなす稽古をしてきました。また当時の師匠も技術指導はほとんどせず、その姿を見守っていたようです。そして本場所も作戦など考えず自然体で臨んでいたのですが、その結果、ツボにはまれば横綱をも倒す強さがあった一方、弱点を突かれると脆さが出て負けに繋がっていました。しかし移籍した高田川部屋では、地力をつける稽古がある一方、相手を想定した緻密な稽古も行い、時として稽古を一旦止めて師匠が技術指導をする姿を見たのでした。それにより現役時代、自分よりも遥かに格下と思っていた力士が勝つ理由が分かり、大関に昇進できなかった理由もはっきりと分かったそうです。

勝負事には必ず相手がいますから、より高い確率で勝つには相手をしっかり研究することが重要です。その上でとっさに動けるように稽古する必要があります。ビジネスの世界も競合というライバルがいますので、その中で抜きんでて結果を残すには地力をつけるだけではなく、競合の研究をしなければなりません。中々思うように業績が伸びないという方は、一度しっかり競合を研究し、経営戦略を考えてみてはいかがでしょうか?